同人誌に参加している人はたくさんいる。皆それぞれの目的がある。商業的な意味を無視して文筆活動というとそこには孤独に作品を書き続け、公開することなく消えていくことも入る。本来はこれこそが誰にもそして時間にも制約を受けずに書くことができる最良の執筆のようにも思う。しかしここに読者という欲望が入り込んでくる。せっかく書いたのだから誰かに読んでもらいたい。自分が様々な作家の著作を読んだように自分の作品も活字になって誰かに読まれればいい。そんな思いは誰にでもある。そこで同人誌というメディア(同時にコミュニティでもある)に注目する人も出てくるだろう。
どの同人誌に参加するか決めるのは同時に読者を選ぶことでもある。なぜならそのグループに加わることは文章鍛錬を共通の目的にする集団に属することであって、機関誌を発行して開かれるであろう合評会では自分の作品がまな板の上にのる。同じ同人誌の人たちは制度上無理矢理でも自分の作品を読んでくれる。この、読む本人の趣味趣向を超越した、強制的な「読む」「読まれる」の制度はかなりの緊張を書く側に与える。一人で書くときに多少なりとも生まれてしまう自己満足を一刀両断してくれる。これは同人誌のいいところだと思う。インターネットで作品を発表していても通りすがりの閲覧者が感想をメールで寄せてくれることは極稀にもない。まるで太平洋の無人島で狼煙を上げ続けるようなものだ。この孤独感に耐えるのは辛い(ウェブ上の同人誌ならばメディアが紙から電子に変わるだけなので感想を言い合うコミュニティはあるだろうが)。
重要なのは向上心ということだと思う。自分にそれがないと駄目だということもあるが、向上心がない同人誌は参加してしるだけ苦しい。文筆仲間と言うときの仲間という意識ばかりがクローズアップされ、お茶飲み、酒飲み同人の会になってしまっては自分の向上心が無視されてしまう。勿論お酒の席でいい話を聞くことができたという経験は私にも山とあるが、馴れ合いの、孤独感(寂寥感)解消セラピーになってしまっていては意味がない。この危険はウェブ上の同人誌(文学フォーラム)も同様である。もし自分の参加している同人誌にそういう性格があった時には勇気を持ってその場を去らなければならないし、新しい読者を獲得する方法を練らなければならない。
(つづく)
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