コラム

column 48 「そうだ、ニューヨークへ行こう」〜新人作家のNY旅日記その2〜
 ショートケーキのバケモノみたいな雲海が、窓の外一面に広がっていた。そのずっと向こうには雲平線とでもいうのだろうか、空と雲の境界が、そこだけ色を奪われたような強い光の帯をつくっている。
 コンチネンタル航空9便は最新のボーイング777で、エコノミー席にもひとり1台のビデオモニターが設置されている。けれども僕は、飛行機が太平洋を越えたころからずっと、窓の外ばかり眺めていた。ここはアメリカ上空。初めての海外がツアーでもなんでもない個人旅行。なぜこんなことになったのか、自分でもよく分からない。すべて勢いだけで決めてしまった。まあ、若気の至りということにしておこう。
 乗り継ぎのヒューストンまであと3時間、そこから国内線でニューヨークに入る。僕にとって外国への入国も乗り継ぎも初めてのことで、出発前からそれがいちばんの不安材料だった。税関では「サイトシーン・フォー・ファイブ・デイズ」だけ言えばいい、と言われてきたが、本当にそんな簡単なものなのだろうか。乗り継ぎまでの猶予は2時間。別室に連れていかれたらどうすればいい? 「通訳をおねがいします」と英語で言えるか? 無事入国しても国内線のゲートまでたどり着けるのか? 乗り遅れたらここで引き返さなければならなくなるのか? いや、そもそも引き返せるものなのか? そんなことを考えていると無性にたばこを吸いたくなるが、機内はなぜか全面禁煙だった。仕方なくコーヒーを頼めば、また頭が冴えて悩みは深まるばかり。ヒューストン着は13:20の予定。この試練がそれでも昼下がりに訪れてくれることが、唯一の救いだった。僕はこのとき生まれて初めて、「夜が怖い」という感情を知った。
 
 入国は非常にスムーズだった。機内で配られた2枚の申請書類とパスポートを見せて、それこそ「サイトシーン・フォー・ファイブ・デイズ」と一言。拍子抜けするくらい簡単に、僕はアメリカに入った。乗り継ぎもコンチのインフォメーションがすぐに見つかって、ニューヨーク行きの出発1時間半前にはゲートへ。待合所の椅子に深く腰掛けて、溜息をつく。アメリカ、恐るるに足らず。とりあえずそんな気分。
 それにしてもNO SMOKING。ヒューストンの空港に降りてからもいちども灰皿を見ていない。もう成田から12時間以上吸っていないのだ。僕はコンチのカウンターにいた黒人のオバサンに訊いてみることにした。
 "Can I smoke anywhere?"
 この英語が正しいかどうか分からないが、心底の欲求から来る質問は自然に口をつく。
 答えはNoだ。ノウ。映画で見た本物のノウ。オバサンは僕を喰ってしまいそうな勢いで、ノウ、と言ったのだった。
「吸いたければ空港から出て行け」
 ゲートを教えてくれたインフォメーションは日本人だったので、アメリカに来てまともに聞いた初めての英語がこれだった。どうやらヒアリングの方も好調のようだ。
 
 20:06。がらっと雰囲気の違う国内線でニューアーク空港へ着く。窓から見えたマンハッタンは壮大な夜景をたたえていた。バスターミナル。日本語とジェスチャーだけで乗合いのバン(箱型タクシー)を手配してもらい、ホテルへ向かう。機内では1時間も眠れなかったのに夜中の3時には目が覚める。
 僕は、遠足とクリスマスと盆と正月がいっしょにきた小学生の、その何倍も踊り狂う胸を抱えて、ニューヨークの夜が明けるのを待ったのだった。
 
 そんなわけで次回は疾風のマンハッタン徘徊編。どこに向かうかは、まだ決まっていない。
(つづく)



佐藤彰純(作家/『赤いワンピースの少女』好評配信中)

編集部ひそひそ話  −災難−
 6月の末、信号のある交差点に進入したところ、右折してきた信号無視の車と衝突した。
 車は90度向きを変え、20メートルほど跳ね飛ばされて路上に止まった。車両は前部大破、運転席のドアも凹んでしまったが、運転していた私は右肘にかすり傷ひとつ負っただけだった。だが、相手の車は道路脇に立っている電柱の支柱線に乗り上げたかと思うと、そのまま立ち上がる形になってから派手に横転した。運転者は自力で這い出してきたものの、青い顔をしてふらついている。
 通報で駆けつけた警官の私に対する態度は、明らかに加害者扱いだった。たまたま信号待ちしていたバイクの運転者の証言により、ようやく嫌疑を晴らすことができた。

 幸い人身扱いにならなかったが、ほんのちょっと運が悪ければ両当事者だけでなく、目撃証言してくれたバイクの運転者の生命まで奪われていたかもしれない。夜、そのことを考えて身震いした。また証言者を得られたからいいようなものの、誰も目撃している人がいなかったらやはり不利な状況に追い込まれていただろう。

禍福の分け目は実に薄い刃のようだ。ニューヨークの世界貿易センタービルにいて生命を失った人々、かろうじて難を逃れた人々のことを想うと複雑な気持ちになる。ビルの中にいて、大型旅客機が突入してくるなど、誰が予想しえただろうか。災難に当たってどう行動するべきか、誰が咄嗟に判断できるだろうか。あの大惨事に遭遇する確率に比べれば、信号のある交差点で信号無視の車と衝突する確率はかなり高い。この十年間に私は2度経験している。それを考えると車に乗るのが怖くなる。だから考えないようにしている。



 やはり、今年は何かあるのだろうか。いつも中野で飲んでいた友達がバイクで事故った。顎の骨が砕けてしまったそうだ。つい先日も中野で飲んで「渡辺さん、キャバクラもう一軒!」といっていたのに……。今年、私の知り合いでバイクで事故ったのはこれで2人目になる。
 このままだと暗い話題で終わってしまうので、笑える災難の話をしよう。この悪い流れを変えなくてはならない。
 18年前、小さな広告代理店で働いていた頃、浅草の大きな交差点の真ん中でバナナの皮を踏んで思いっきり転んでしまったことがある。その後、さすがに飛んだバナナの皮が頭に降ってくることはなかったが、転んでからしばらく笑ってしまったのを覚えている。回りの人も笑っていた。やはり、バナナの皮は良くすべったのである。
 そして同じ頃、永福町にある踏切を、あわてて渡ろうとしたら遮断棒が頭の上に乗ってしまった。ちょうどいいタイミングで道路と遮断棒に挟まれ、恥ずかしいことになった。やはり、この時も笑ってしまった。
 37年間生きてきて、こんな災難にしかあったことがない。私は運がいいのか悪いのか。すみません。ゴールデン街の『エスパ』のルリ子ちゃん風に言ってみた。

渡辺

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