SS作品集『軽めの昼食』でも紹介されているように、私にとって十八番とも言えるのが、時事ネタである。より新しいものを、より早く。漫才師から作家へ、このスタイルは脈々と続いている。いや、正確に言えば、それ以前からこのスタイルは続いている。
小学校、中学校、高校。クラスの人気者になる為には、1.成績優秀、2.スポーツ万能、3.ルックス抜群、4.親父がパイロットか医者、5.おもしろい奴。
上記の条件で俺が満たしているものは、5だけである。これは幼い俺にも容易に理解できた。
青春時代はあっという間に過ぎていく。田舎で育った者にとって、青い春になるか、はたまた黒い春になるかは、スタートダッシュが全てである。一度良いイメージを皆にインプットさせれば、狭い世界でそれは一生の保険になる。同窓会で会う度に、『うんこマン』と言われている奴は、その悪い例だ。(例えが幼稚ですいません)
俺はやるしかなかった。人気者になりたい、目立ちたい、女の子にモテたい。だからひょうきんものになるしかなかった。俺はとにかくしゃべった。朝から晩までしゃべりまくった。そして気付いた。皆がもっとも感心を示し、それでいて笑いのとれる話題は、新鮮な時事ネタであることを。昨晩のTVの話はその代表例だろう。馬鹿にするなかれ、これも立派な時事ネタである。 当然年齢を重ねるにつれ話題は変化していった。『○○先生が60回ローンで新車を買った』、『隣街の誰々が犯罪を犯した』、『中学ではいじめられていたアイツが、高校ではいじめているらしい』。やがてそれが芸能ネタへと繋がり、社会や政治へと移っていった。
休み時間、俺の周りには仲間の姿がある。俺は勝ったのだ。この戦を馬鹿馬鹿しいと思う奴は思えばいい。一生地味な人生で幕を下ろすのだ。己の生きていた事実を知る者は、己と親兄弟だけだろう。俺は嫌だ。名前を売りたい。親が地味なサラリーマンであったから、その思いは尚更強いのかもしれない。同じ努力をして、同じ結果が出るのなら、より多くの人にその成果を見てもらいたい。
俺は16で東京にオーディションを受けに行った。本気で芸人になりたかった。電車も走っていない街に住む者にとって、それは大冒険だった。東京から戻った俺を、周囲の目は、まるで宇宙人にさらわれた奴でも見るかのように迎えた。東京で出会った自動改札を説明するのに、どれほど苦労したことか。(自動と言えば、自動販売機以外にない街だった)
俺は作家をやっている。でもいつかはお笑いをやりたい。俺の原点であり、ゴールだとも思っている。
もし、今俺が漫才をやるなら、きっとこうなるだろう。
B「終わりましたねW杯」
T「終わりましたね」
B「明日決勝ですね」
T「どういう事だよ。終わったんでしょう」
B「だからW杯はね。明日が決勝なのはP杯」
T「P杯?」
B「知らないの、P杯」
T「知らないね。何?」
B「パラリンカップだよ」
T「そんなのあるのかよ」
B「体の不自由なサッカー選手ばかりの大会」
T「オリンピックの後の、パラリンピックみたいなもんだ」
B「その通り。この間、一試合観戦してきたけど、けっこうおもしろかったよ」
T「へぇ〜、どんな体の不自由な人が多いの?」
B「ほとんどの人が、手が不自由だったね」
T「それがサッカーなんだよ!」
もう一つの俺の武器は、ブラックさ。これは身に付けたものではなく、生まれつきである。
俺は他人の不幸を笑いたい。その為には自分が幸せでなければならない。だから日々精進している。
次回は、もっとも影響を受けた人物、松本人志さんについて書かせて頂きたい。
つづく
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