俺の父親は「お笑い」が嫌いだ。なぜだろう? トラウマでもあるのだろうか。
家にはTVが1台だけ。そんな家で「8時だよ! 全員集合」を観ることは困難を極めた。土曜の夜はいつも喧嘩をしていたような気がする。爽快に番組を観終えた記憶は殆どない。父親の冷めた目線を感じながら「お笑い」を観る、当然、心の底から笑えるはずがない。この関係はその後暫く続くこととなる。「オレたちひょうきん族」「みなさんのおかげです」「元気が出るTV」等。常に父親の冷めた目線を感じていた。
しかし、そんな不遇の時代にも終りはやってきた。
ダウンタウン(以後、DT)に出会ったのは高2の頃。衝撃だった。自分のお笑いに対する考えが、180度変わった。今までなら、生意気ながらも「俺ならこうする」、そんな考えを起こしがちだった。しかし、彼等は別だった。そんなことは考えもしなかった。ただ、悔しかった。ずば抜けた才能が悔しかった。
俺が知った時、DTは既に関西での大ブレークを終え、その勢いで東京進出を果たした直後だった。九州でDTの大阪時代の番組を観ることは不可能だったので、これでも早く目を付けた方だろう。実際、同級生でDTの話ができる奴は、ほんの数人だった(当時の主流はとんねるず派だった)。
DTとは? 俺が2人を表現する時に用いる喩えは、『天才』と『天才が認めた凡人』。DTの登場で、お笑いのレベルは数段アップした。特に松本人志さんはこれまで芸だった笑いを技にした。本物がそこにいた。今更、俺がDTの笑いについてどうこう語る必要はないだろう。いつか「お笑い」という教科ができたら、その教科書で永遠と書きたい。
不幸な事に、DTの技を理解出来ない奴もいる。そんな奴を松本さんは「酒を飲めない人間と同じで、それをできる人間の半分も人生を楽しめないだろう」と言っている。まったくその通りだと思う。
俺の親父は「お笑い」が嫌いだ。俺が18の頃。DTのトーク番組は、土曜の夕方、5時半からやっていた。親父が仕事から帰って来るのは、5時45分。「ただいま」の声がする頃には、トークも佳境に差し掛かっている。俺の一番の楽しみを邪魔されたくない。案の定、親父は服を脱ぎながら、「また、こんなつまらないモノを観てるのか」。そんな表情で俺とDTを交互に睨んだ。そんな日々が暫くは続いた。
が、それは突然やってきた。親父が笑ったのだ。俺と同じところで笑ったのだ。それをやってのけたのは、もちろん松本人志さんだった。
その時のことは未だにはっきりと憶えている。とにかく嬉しかった。「お笑い」を親父と一緒に観て、同じところで笑ったことが、今まで一度もなかったのだから。大袈裟でも何でもなく、嬉しさのあまり泣きそうになった。
この日俺は、芸人になることを夢から目標へと置き換えた。最高の喜びを与えることができるのは、芸人だと実感した結果だった。
俺はライターをやっている。言葉ではなく、文字で芸をやっている。もちろん、これはゴールではない。数字では表せない世界。正解のない世界。そんな世界でゴールを見つけることは難しい。
でも、俺は決めている。俺にとってのゴール。それはあの人を笑わせた時。
次回は、作家を志すきっかけ。三谷幸喜先生について書かせていただきたい。
つづく
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