コラム

document 16 「狼の契約」制作裏事情 その3 「料理」
 俺の趣味は料理だ。
 和、中、印、伊、西、タイ。何でも作る。好き嫌いはほとんど無い。何でも食べる。夜の料理番組はほとんど押さえている。「スマスマ」「タモリのジャングルTV」「どっちの料理ショー」「VVV6」「メントレG」「チューボーですよ!」。うまそうな料理が出ていたら週末に作って食べる。
 時には、自分の家または劇団とかで皆にふるまうこともある。ありがたいことに皆、おいしいと食べてくれる。それを聞くのは楽しい。

 料理は人間としての必須条件だと思っている。男、女、大人、子供関係ない。「食べる」と云う生命の絶対行為をここまで高度に儀式化したのは人間だけだからだ。
 自分の家に帰るだけで自動的に(母親または妻が心を込めて作ってくれているのに)食事ができると思っているあなた。俺に言わせると、知らないうちにつまらない人間になっていますよ。うまい料理を作る人間はそれだけで賞賛に値します。

 さて、今回もネパールの話。
 ダクシンカリーと云うヒンドゥー教寺院に行った時のこと。カトマンドゥからタクシーに乗って2時間ほど。濃霧の峠を越えて(途中、トラックが横転していた)着いたところは陽光穏やかな林の中、道々に土産物屋の露店が並び、人々がのんびりと行き交う、こぢんまりとした観光地。日本の地方のそれとよく似ている。
 人々はあちらこちら芝生の上にシートを敷き、家族団欒、バーベキューをしている。日本でもよく見られる週末の風景である。
 寺院に近づく。谷間にかなり年代が経っているであろう石橋や塀が見えてくる。
 長蛇の行列。老若男女、誰も文句も言わずにただ自分の順番を待っている。人々の手には鶏またはつながれた山羊。彼らはコココメエメエと不満げにつぶやいていた。
 ただの観光客の俺は行列の先に行く。寺院と言っても小さなほこらがあるだけである。その中では殺気立つ程の人々の熱気。異教徒は囲まれた柵の中には入れないがある程度、中の行為を観察できた。
 そこは血の女神「カーリー」に生贄を奉納する聖なる場所だった。屠殺人は信者から次々に鶏、山羊を受け取ると手際よく首を切り落としていく。なんとまあ良く切れるナイフ。パンにバターを塗るように首を落としていく。床にはおびただしい量の血があふれている。
 心臓が完全に止まるまでの間、首のない鶏は羽根をばたつかせて「首を返して!」と駄々をこね、同じく首のない山羊たちは、駆け回った草原を夢見ているのだろうか、血の上に横たわって四本脚をぎくしゃくと動かし、グルグルとたくさんの円を描いていた    (俺からは見えなかったが、切り離された首は胴体に別れのウインクと無音の「さよなら」を数秒間はつぶやいていただろう)。
 喧噪の中、屠殺人は額に聖なる赤い刻印を塗り、誇りに満ちた静かな笑顔をしていた。
 印象的だったのは屋根の上の鳩。眠そうに首を揺らしている。その下では殺戮、上ではうたた寝、同じ鳥でもえらい違いだ。
 そう、道々の芝生の上で食事をしていた彼ら「カーリー」の信者は血を奉納した後、その肉を焼いて食べていたのだ。
 なんとも合理的。その場所の行為は、俺には不思議と凄惨に感じなかった。カメラを向けた俺に、首のない鶏の翼を広げて見せた5才くらいの少年の笑顔が忘れられない。

 首都のカトマンドゥはともかく、ネパールでは地方で肉屋を見たことはなかった。
 肉を食べたかったら生きた鶏を一羽丸ごと買ってきてさばくのである。そこから料理が始まっている。それが当たり前なのだ。そしてそれで作ったタンドリーチキンはむちゃくちゃうまい。俺も自分で絞めて鳥鍋にしてゲストハウスの皆で食べた。うまかった。

 今、この原稿は、ある有名ファーストフード店で書いている。トレイに敷かれた紙には「指定牧場_工場_ショップ_テーブル」と牛肉の流れが書いてあるが「屠殺場」の部分が抜けていると思う。
 あるテレビ番組でも「特選素材」で快適な状態で飼育された牛豚たちが、次の瞬間にはヒレやロースになっていた。
 でもそんなこと日本では当たり前。
 さあ!異常なのはDOTCH!

 で、次回は「犬」。ちなみに広州で犬を食べたけど、今度のはそんな話じゃありません。
 あしからず。

つづく

和田大儀(作家/『狼の契約』無料ダウンロード配信中)

(01)「狼の契約」制作裏事情 その1「マジックマッシュルーム」
(02)「狼の契約」制作裏事情 その2「大麻」
(03)「狼の契約」制作裏事情 その3「料理」
(04)「狼の契約」制作裏事情 その4「犬」
(05)「狼の契約」制作裏事情 その5「女性」


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