こんにちは、淘山竜子です。これから4回に渉って私の日々感じていることなどを書いたコラムをお届けすることになりました。
短く自己紹介。私は文芸好きの大学院生です。教養を身に付けたいのと、もっとたくさんいい小説を書きたくて就職せずに進学しました。でもこの「いい小説」っていうのが曲者で、何をもって「いい小説」というのかまだわかりません。暗中模索。
で、今回のタイトルは「25歳」。なぜこのタイトルかといえば、私が25歳だからなんですが、話は他のところから始めたいと思います。
先日、新しい五千円札の肖像に樋口一葉が選ばれました。明治初期の小説家です。一葉は類い希な才能を持っていながら25歳で病没しました。島崎藤村と同じ年に生まれているので、もし生きていたら文学史にもっとたくさんの名著を残したことと思います。一葉が広く世間に認められるのは「文学界」に「雪の日」という作品を載せた21歳の時です。14歳の時から門下に入っている荻の舎という歌塾に田辺花圃という人がいて、この人が小説で稿料をもらったことに触発されて小説を書き始めたそうですが、お金が欲しくて小説家になれるんだったら今頃そこいらじゅうの人が小説家になっていますよね。一葉にはもともと才能があったんだと思います(ちなみに坪内逍遙の『当世書生気質』を読んでこれなら自分にも書けると思ったという逸話もあります)。明治の女性で20歳といったら、たぶん親戚や両親に勝手に縁談の話を決められて、お嫁に行っておかしくないです。樋口家は父親が没していて一葉が働かないといけなかったのですが、それでも20歳を過ぎて、十も歳の離れている半井桃水に弟子入りして(恋愛感情も持って)、いくら稿料を得るという名目があったにせよ収入は芳しくないわけですから、そういう状態で小説を書くというのは間違いなくアウトローだったと思います。周囲にそれを咎める人がいなくても世間の婦女子と比べて自分がメインストリームから外れているのは意識していたと思います。小説を売る動機となった田辺花圃は自分の小説の師匠である三宅雪嶺と結婚しましたが、一葉は桃水と「雪の日」を書く前に別れています。「お嫁に行けなくなるんじゃないかしら」って心配にならなかったんだろうか、と私は素朴な疑問を抱いてしまいます。一葉の命を奪うことになる肺結核の兆候が既に出ていたとも考えにくいし。
一葉の文章を愛した文豪の一人に森鴎外がいますが、その鴎外の『渋江抽斎』を読むとわかりますが、女性がお嫁に行けないというのは非常な不幸でした。生活の保証を失うことを意味していたからです。
一葉は23、4歳の時、もっとみんなと同じことしたいと思わなかったのかというのが私の疑問です。なぜなら、冒頭の自己紹介で申し上げたように、私自身も生活の基盤のないアウトローだからです。生活の基盤のないアウトローって、たぶん、22歳までだったら男でも女でもそんなに気にしなくて平気だと思います。しかし25歳。しかも女性で。一葉が作品を発表したのは雑誌ですから、稿料しか入ってきません。文庫や単行本が出れば印税が入るのでしょうけれども、それが出るのは一葉の死後翌年です。生前は妹の針仕事のほうが収入があったくらいです。決して自分の志していることが生活に繋がらないのはわかっているのです。萩の舎では、同窓の女の子たちは軒並み明治政府の高官の令嬢で、いい服をたくさん持っています。一葉がみすぼらしい服で出席しなければならないことを嘆いている文章は、その日記に散見されます。『大つごもり』の御新造さんみたいに、富家に嫁ぐことは考えなかったのでしょうか。
21世紀の女性だって、身の振り方を考える年齢、25歳。転職だって25歳くらいが一番多いんじゃないでしょうか。30歳になってからでは遅いこともいっぱいありますよね。みなさんはどんな25歳を過ごされました?
つづく
淘山竜子さんが中心となった雑誌『孤帆』の第3号が発行されました。大きな出版社から降りてくる情報のみではなく、横に横に広がって新しい創作の可能性を広げたい。『孤帆』はそんな文芸同人誌です。 創刊号から三号まで販売しています(定価500円)。
詳しくはホームページで。 http://home.catv.ne.jp/rr/s-field/index.html
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