こんにちは、淘山竜子です。3回目のタイトルは「フリーセックスの時代は終わった」です。
私は大学院で江戸時代の文学を専攻しています。それで、ある先生といろいろお話をしていたら、こんなことを聞くことができました。
「いやあ、戦後は西鶴が流行ってねぇ、ほら、フリーセックスの時代がきてさ、それで流行ったんだよ」
井原西鶴は江戸時代、元禄の小説家です。『好色一代男』とか『好色一代女』『好色五人女』とか、つまりは好色物の創始者です。といって西鶴の作品が、いわゆる官能小説かというと、そうではないんです。ちょっと話は飛びますが、みなさん高校時代の古典の時間って、何を扱いました? たぶん『源氏』、『枕草子』、それから中世の軍記物が多かったのではないでしょうか。なぜか、江戸時代のものは扱われない。それは古典文法がかなり崩れてきているということもありますが、話の内容がえげつないからだともいわれています。でも、そんな風に教育委員会の人が危惧するほど猥褻ではないのです。それだったら『古事記』のほうがよっぽど具体的です。西鶴が描いた性は、性的に抑圧される人間像と性的に解放される人間像です。西鶴は性的に解放された後の、その主人公の行動を追います(詳しくは『西鶴置土産』を読んで下さい)。恋い焦がれて身代を潰して(破産して)まで身請けした高級遊女と極貧の生活を送る男だとか、廓遊びに全財産をつぎ込んで、家族も住む家も失った孤独な男とか、そんな人たちを眺めます。彼らが、精神的に拠って立つところはどこなのか、読者に問いかけてきます。そんな話なので、官能を期待して西鶴を読むとちょっとずっこけます(『好色一代男』は期待できるかも)。
性の解放は抑圧とセットにして考えるべきものと思います。吉行淳之介の『驟雨』で描かれた女の子は、世がフリーセックスの時代だったからこそ、彼女の自分の処女性への執着が文学になったのです。先日の先生の話も、戦前戦中の抑圧状況があったからこそフリーセックスへ向かおうとする時代の流れが鮮烈に人々の目に焼き付いたということだと思います。そしてその鮮烈さの中には、新しい価値の発見があったと思います。「フリーセックスって格好いい……」漠然とそう思った人は多かったのではないでしょうか。それは戦後の様々な文化の諸相と関係があるので、ここで簡単にいうことはできませんが、恋愛神話と関係があったことは事実でしょう。「運命の人と結ばれることこそ人生の最大の喜び」という名目のもと、「恋愛」行為そのものを美化して描いていく。恋愛の情熱は抑圧された封建制度下では抹殺されていたので、それを高らかに歌うことはそれ自体が近代性でもありました。だからこそその延長線上にあるセックスは文学の場で頻繁に取り上げられたのです。「純文学ってけっこうエッチだな」って思って文庫本を買った中高生時代を持つ人も多いのではないでしょうか。しかし、『限りなく透明に近いブルー』でセックスは描ききってしまったので(もっと前のヘンリー・ミラーを挙げてもいいかもしれません)、文学としては、じゃあその先に何があるんだという問題に直面してしまいます。もしかしたら文学は今、その問題で足踏みしている状態なのかもしれません。
解放されていた時代への反動で、すぐさま抑圧がくるとは思いません。性的に慎重であることが新しい価値として注目されるとも思いません。ただ、前回の「結婚」の話とも重なりますが、恋愛神話は影を薄くし始めているのではないでしょうか。島田紳助の名言があります。「恋愛っちゅうのは、最初のやつには100パーセントでいくねん。最初のやつへの感情は100パーで、その後は下がっていくだけやねん。次のやつは80パー、その次は60パーやねん」言葉尻は違うかもしれませんが、深夜のカップル登場番組で仰っていました。本当はみんな気付いているんじゃないでしょうかね。探せば探すほどいなくなってしまうということに。探せば探すほどいなくなるとはどういうことか。「運命の人」像が本当はあやふやなものだったと気付くということです。だってその「運命の人」像ってどうやって手に入れたんですか? メディアから流れる大量な情報の集積ではないでしょうか。映画スターもポップスターもモデルもタレントも俳優も、そして恋愛のストーリーも現代にあっては消費されるものです。そしてそういった恋愛物語の中ではセックスも消費されます。大量に生産して大量に捨てていきます。恋愛神話が大量消費文化に基盤を置いていたからこそ、探せば探すほどいなくなるのです。
そういう無い物ねだりに私たちはもう疲れてしまっているのではないでしょうか。これから求められるのは社会としっかり向き合うことができる自己だと思います。熱に浮かされた政治運動でもなく、現状を認識しない自由主義でもなく、現実逃避のようなフェミニズムでもなく、「自分探し」の海外旅行でもなく、現状を認識する視線ではないでしょうか。そういう視線を得ることができれば、ジョンとヨーコのようなハッピーなセックスも手に入るのではないでしょうか。
つづく
淘山竜子さんが中心となった雑誌『孤帆』の第3号が発行されました。大きな出版社から降りてくる情報のみではなく、横に横に広がって新しい創作の可能性を広げたい。『孤帆』はそんな文芸同人誌です。 創刊号から三号まで販売しています(定価500円)。
詳しくはホームページで。 http://home.catv.ne.jp/rr/s-field/index.html
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