はじめまして、トム・グレンです。これを読んでくださっている大半の方が知らないと思いますが、『アンおばさんのクリスマス』を書いた者です。
よろしくお付き合いください。
さて、今回は、「間違いだらけの童話の認識」みたいなことについて書こうと思います。
童話というと、子供の読み物というイメージがあります。私がどうして童話を書き始めたのか。それはただ単に「長くて、描写の細かい話が書けない」という、すごく情けない理由からです(今も状況は同じです)。なら書かなければいいのですが、当時の私は実生活で落ち込むことが多く、それをどうにか変換しないと精神的におかしくなりそうだったのです。そんなわけで、簡単に書ける(と思っていた)童話の形式で書くことにしたのです。
書いてみると楽しい。いわゆる現実逃避ですね。それでレベルはたかが知れていますが、ふだん考えている世間への疑問などを書きました。このときは童話を書いているというよりは、童話形式で書いているという認識でした。だって、童話は明るくて内容の簡単なものと思っていたからです。
試しに友人に読ませてみると、「暗い話だ」という答えが返ってきました。私の友人の大半が、はっきりものを言うタイプなんです。ありがたいことですが、ちょっとはお世辞を言ってほしいものです。まあ、動機が暗いので無理もないのですが、ちょっとショックでした。それで、少し書き慣れてきたこともあり、「メルヘンチックなものを書いてやろうじゃないか」と、いくつか書いてみました。その一つが『アンおばさんのクリスマス』です。ちなみに友人の反応は、「書いたんだ」くらいのものでした。ま、素人の書くものですから、そんなもんです。当時の自分は何を求めていたんでしょう? 今の自分にもわかりません。
『アンおばさんのクリスマス』は、本当は暗い話を書くネタにしたかったのです。でも、暗いと言われたことへの反発と、クリスマスメールに添付する童話を書きたいという理由から、完成品より軽いノリの作品が出来上がりました。それが、どうにか日の目を見るわけです。
しかし、簡単に日の目を見たわけではなく、企画出版の際に、書き直しを要求されました。これは私だけなのでしょうか。ちょっと疑問です。とにかく、書き直していて感じたのは、「童話を書くのは、自分には無理」ということでした。私が今まで書いてきたのは童話の形式なだけで、童話じゃないと思いました。私の童話のイメージは先に書いた通りでしたから。そんなわけで、結構長い間書き直しができませんでした。 あるとき、通っていた専門学校の「児童文化論」という授業の一環で、児童文学の編集をしている方のお話を聞く機会がありました。お話の中で「童話や絵本は子供のものではなく、子供から読めるもの」というような言葉が出てきました。今までの童話のイメージがふっとんだ気がしました。感化されやすいんです。
それから絵本や童話を読んでみると大人でも十分楽しめる、大人だからこそ感じるものがいっぱい出てきました。特に昔から子供に愛されている作品の人物像などは、大人の読み物と同じくらい深いんです。それに童話や絵本というのは、暗い要素も十分入っているのです。二十数年間、そんなことにも気がつかないなんて損してました。
そうやって童話を読んでいくうちに、自分の目指す童話像がはっきりしました。
「子供が読んだら単純に楽しめて、大人になって読んだら子供のときには読みとれなかったメッセージが読みとれるもの」というものです。
そこで、アンおばさんの過去を少しだけ後ろめたいことにして、ただ楽しい話じゃなくしたつもりです。それが生かされているかどうかは、皆さんの目でご確認ください。
つづく
|