「SF冬の時代」と言われて久しい。とどのつまりは、流行らないということ。読まれないということです。こう言われはじめて、もう10年以上になるんじゃないでしょうか。あまりに長く言われつづけて、もう憶えていません。とほほ。
もっとも、これは活字のSFについてのみ言われていることであるようで。映像メディアは盛況なのであります。ハリウッド製のド派手なSF映画は大ヒットするし、アニメの『新世紀エヴァンゲリオン』は社会現象になるし。いかに映画産業が斜陽とはいえ、『インデペンデンス・デイ』や『アルマゲドン』のようなSF超大作がそれを支えていることは確かなことなのです。
「冬の時代」を検証し、その解決策を考える前に、それがいったいどこに訪れているかを考える必要があるでしょう。
実際のところ、これほどまでにSFが読まれないのは、特に日本で見られる現象のようでもあるのですが、必ずしもそうではありません。たとえば、SFの「本場」、アメリカ。
さすがにアメリカでは、映画に限らず活字でもSFは盛況のように見えます。現代的な意味での「SF」が発展し、定着したのは何と言ってもこの国ですから。
ところがところが、そうでもないということを、数年前にある評論家のサイトで知ってしまいました。
とあるSF作家の小説が翻訳されて日本で出版されているのだけど、実はその原書が本国アメリカで絶版状態になってしまい、同書が世界中で日本でしか手に入らなくなってしまったというのです。つまり、英語版が消えてしまって、どうしても読みたかったら日本語版を買うしか方法はないということね。
書いた本人も苦笑するしかなかったとか。
全く何ともおかしな現象ではあるのですが、SFを送り出す側(作家という意味だけじゃなくて)に責任がないかというと、必ずしもそうは言えないかもしれません。たとえば本格SFはあまりにも先鋭化しすぎたせいでよほどのマニアでないとついていけなくなってしまう。かといって、ヤングアダルト系はいかにもアニメチックな表紙がいい歳したオトナが手に取るのを阻害したりする。アニメチックな表紙付けないと若い世代には売れないのかもしれませんが、中にはオトナの鑑賞に堪える本格的な作品も多かったりするんですよ。作者は不本意だと思うんだけどなあ。アニメチックがいかんと言ってるんではないんですが。
逆に、SF映画。これはどうも悩む存在なのよね。一応設定はSFなんだけど、実はちっともSFらしくなかったりする。上に挙げた『インデペンデンス・デイ』や『アルマゲドン』なんか、SFを読み慣れた人々にとっては実にナンセンスな印象があることもある。この2作じゃないけど、作品によってはSFとしては質が低いことがある(映画としての質が低いと言ってるのではありません。念のため)。つまり、これらは結局のところ、「SF」映画なのではなく、「SFX」映画なんであります。見た目が派手だからヒットしてるだけ。
しかし、たとえそういう映画でSFに興味を持ったとしても、いざ小説を手に取ったりすると、やたら小難しい理論やら概念やらテクノロジーやらが前面に出てたりして、ちっとも派手じゃない。そういうのが好きな人にはいいんだけど、ただ表面的な派手さを求めてた人は肩すかしを食らう。てなわけで、読まなくなる。
ハリウッドにケチつけるわけじゃないけど、どんなにSF映画がヒットしても、SF自体の隆盛にはつながらないと思うんだよね。優れたSF小説は逆に映画化しにくかったりするし、たとえ映画化してもヒットしそうもない。フィリップ・K・ディックなんかはたくさん映画化されてますが(『ブレード・ランナー』、『トータル・リコール』、『クローン』、『マイノリティ・リポート』など)、結局は原作にない枝葉末節をくっつけて、見た目に派手なSFX映画になってる。それはそれで面白いんですが。
そんなことを考えると、日本のアニメのほうがよほどSFらしかったりする。巨大ロボットなんかは私自身は兵器としてナンセンスと思うのですが、少なくとも設定自体はちゃんとSFになってることが多い(ちなみに、アメリカのSFオタクのおっさんにメールで『新世紀エヴァンゲリオン』のことを「ロボット」と書いたら、「あれはロボットじゃない!」と指摘されたことがありました。日本人より詳しいとはいったいどんなオタクなんだ?)。
日本ではSFはいまだに子供向けと思われてるってことだろうか。しかしなあ、子供のころに『鉄腕アトム』に夢中になった世代も今や40代から50代。あれもれっきとしたバリバリのSFですぞ。子供心を忘れてはいけません。もちろん、書き手の側にも一般読者への歩み寄りが必要なんでしょうが。「好きな奴だけ読めばいい」というスタンスもそれはそれで賞賛すべきですが、少なくとも春の訪れは期待できないかもしれませんね。
つづく
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