さて、「バカSF」であります。
日本SFの際立った特徴としての「バカSF」。それはいったいどんなものなのか? 口で説明するより実際の作品を読んでいただいた方がはるかにいいのですが、残念ながら昔のバカSFはそのほとんどが絶版か品切れ状態。口で説明するほかはありません。てなワケで、私のへたくそな説明にしばらくおつきあいいただきます。
まずはその歴史から。私がSFを読みはじめたのが1970年代前半。当時のSF少年のご多分に漏れず、私もほぼ星新一さんのショートショートから入ったのですが、同時に本屋さんで見かけた『SFマガジン』を購読するようになり、そこに掲載されていた海外SFとともに、日本作家の短編もむさぼるように読むようになったのです。そして、海外SFと日本SFのあまりの違いに唖然とすることになる。
もちろん、国産SFの中にも海外作品のような本格的なSFはたくさんあったのですが、一部にはどうにも分類しがたい、特異な小説があったのです。たとえば横田順彌。たとえば豊田有恒。横田さん(ヨコジュンの愛称で親しまれてます)は日本古典SF研究の第一人者であり、豊田さんは本格SFや歴史SFもたくさん書いていらっしゃるのですが、短編ではそうした「専門分野」とは全く関係のない、そりゃもうけったいな小説を書いていらっしゃいました。何と言ったらいいか、いわく口では言いがたい作品群なのです。でもちゃんと口で説明するって言っちゃったので説明します。
「バカSF」とは何か? それは一見すると、いわゆる「SF」とは対極をなす作品群である。SFの「S」がサイエンスの略であるなら、そこには科学のかけらもない。あるのはむちゃくちゃなシチュエーション、世界観、事件だけ。SFが曲がりなりにも科学的リアリティを目指すものであるとすれば、そこにはリアリティのかけらもない。ただのドタバタ、はちゃめちゃな出来事と状況のみ。
と言っても、何のことやらさっぱりだろうと思います。タイトルだけで一発で理解できてしまうような、典型的な例を挙げましょう。
筒井康隆の『日本以外全部沈没』。
これを「バカSF」に分類することに関しては異論のある方もいらっしゃるかと思いますが、とりあえず「バカSF」の一例としておきましょう。タイトルからおわかりのように、これは小松左京の『日本沈没』のパロディであります。しかし、このタイトルはもう、「バカ」以外の何物でもない。だって、日本列島以外のすべての陸地が海に沈んでしまうんですよ。科学的根拠もへったくれもなし。あるのはリアリティなどという小賢しいものをはるかに超越した、ただただ純粋な哄笑だけ。
科学的なリアリティのある、本格的なエンターテインメントとしてのSFというものは完全に無視し、ひたすら無茶苦茶でドタバタで呆れ返るようなとんでもないギャグのつるべ打ち。それが「バカSF」です。特に横田順彌さんの短編には傑作が多く、腹を抱えては読みふけったものです。彼の作品は特別に「ハチャハチャSF」とも言われているのですが、何でも「めちゃめちゃ」と笑いながら言おうとしたらうまく言えなくて「ハチャハチャ」と言ってしまったのがそのまま使われるようになったのだとか。
よく言えばスラップスティック。悪く言えばデタラメでムチャクチャなただのドタバタ。意味なんてありません。でも、それがものすごく面白い。それでSFにハマったひとも多いのではないかと思います。残念なことに、当時の作品は今ではほとんど手に入れることができません。図書館で探していただくほかはないのです。
もっとも、この日本独自の「バカSF」の伝統を受け継ぐアンソロジーが、今でも本屋さんに並んでいます。大原まり子・岬兄悟両氏の編纂になる『SFバカ本』シリーズ。70年代の古き良きバカSFとはまた違う作品群ではありますが、その片鱗をうかがうにはちょうどいいかもしれません。私も約4年前に、一本だけ短編を載っけてもらいました(おっと、宣伝になってもうた。でももう絶版だから許せ)。
しかしなあ、やっぱりヨコジュンなんかの思いっきり大バカな作品をもう一度読みたいと思ってるのは私だけではないと思うのですが。バカSF、カムバーック。
つづく
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