コラム

document 54 日本SFはどこへ行く?(その3)−アニメの「功」と「罪」
今でも人気の高い『宇宙戦艦ヤマト』は、やはり日本のアニメ史上、ターニングポイントとなった作品といって間違いないでしょう。
それまでのアニメや実写ヒーローものなどでは、宇宙人あるいは宇宙生物というと実質的には化け物か怪獣でしかなく、それと戦うのもたったひとり(あるいは一匹)のヒーローでしかなかったところに、『ヤマト』はいかにもリアルな宇宙と異星人、そして、あくまでも普通の人間が集団で戦うという図式を持ち込んだのです(それ以前にもあったのかもしれませんが、本格的かつ意識的にこうした図式を導入したのはやはり同作品でしょう。ま、「顔色が悪いだけで宇宙人!」ではあったのですが)。

私が幼稚園児だったころは怪獣ブームで、猫も杓子も怪獣怪獣、馬鹿馬鹿しいだの子供だましだのと言われようが娯楽の王者だったのです。劇場ではほぼ定期的にゴジラやガメラなどの映画が封切られ、テレビでは『ウルトラマン』などの巨大ヒーローが単独で怪獣と戦うというパターンが長い間続きました。
一方で、世の中に「SF」というものが存在することを子供ながら知っていたのですが、怪獣もの、あるいはウルトラマンシリーズなどをSFと認識することはありませんでした。SFと言えばあくまでも宇宙船とか宇宙人が出てくる海外(特にアメリカ)の映画であり、『宇宙大作戦』(スター・トレック)であり、翻訳小説(もちろん、児童向け翻訳シリーズ)であり、怪獣もウルトラマンも、さらに言えば『光速エスパー』も『遊星少年パピー』も『宇宙少年ソラン』もSFとは認識しておらず、それ自体が「怪獣もの」「ヒーローもの」という、独立したジャンルだったのです(そう思ってたのは私だけだったのかもしれませんが。それにしても出てくる作品が古すぎる!)。

やがて怪獣ブームが去ると、『仮面ライダー』など(少なくともサイズだけは)等身大の変身ヒーローものが主流になり、人間味のあるキャラクターを産み出して、その内面、苦悩といったものを描くようになります。つまり、よりリアルな方へ目が向いていったということになるのでしょうが、それでもまだこれらをSFと認識することはできませんでした。

そこへ現れたのが『宇宙戦艦ヤマト』。はじめて見たときは驚愕しました。怪獣もヒーローも出てこないではありませんか。やってることは、集団としての地球人類と異星人との戦争。出てくる宇宙船も兵器も実にリアルで、設定もストーリーもまさに「SF」足りうる、しっかりしたものでした。さすがに「ワープ」という言葉は『宇宙大作戦』ですでに知っていたものの、当時は『ヤマト』を見るたびに、「これぞ本格SFだ!」と叫んだものです(今では考えも少し変わりましたが)。

しかし、『ヤマト』はあまりに時代を先取りしていたのか、これに続く作品はほとんど生まれませんでした。一方、『マジンガーZ』を契機として、巨大ロボットものがアニメの主流となるのですが、このジャンルも『機動戦士ガンダム』に至って「SF」としてのリアリティを獲得することになります。巨大ロボットを単なるヒーローとして扱うのではなく、あくまでも群像劇の中で描き、それに登場するキャラクターたちの内面を掘り下げて描くことにより、ドラマとしてのリアリティをも実現するにまで成長したのでした。もちろん、SFとしての基本設定もしっかりとなされており、確立された世界観がそこには存在したのです。
この流れは現在に至るまで受け継がれ、中にはSFとして極めて先鋭化した作品まで生まれるようになりました。

しかし、しかしです、私個人としては、どうしても一抹の違和感が拭いきれなかったのです。いったいどこに違和感を感じたのでしょうか?
科学的裏付けや背後の世界観はいかにもSFらしくなっていながら、メインはあくまでも、厳密なSFの視点から見ればナンセンスな設定、ドラマ、キャラクター。別に巨大ロボットをくさすつもりは私にはありませんが、超有名アニメ作品に関わったこともある某SF作家もこのジャンルを「ロボットプロレス」と言って批判しておられましたし、私自身も、いかにもナンセンスでリアリティのない設定や図式に違和感を覚え、やがてアニメ作品からは遠のいてしまうことになります。
私が悪い意味で「オトナ」になっちゃったからでしょうか。

このあたりが、このドキュメントの第2回で少し触れたことの経緯であります。つまり、確かにあまたのアニメ作品は若年層にSFの魅力を知らしめたものの、それはあくまでもSF的ナンセンスを正当化するものでしかなく、SF的リアリティを取り入れながらも「SF」そのものからはどんどん乖離していく。しかし、表面的にはあくまでも「SF」になっているため、それで育った世代はそうしたSF的ナンセンスこそがSFだと信じて疑わない。逆にハリウッド製のド派手なSF映画はそうしたSF的バックボーンに欠けており、表面的なリアリティを実現しながらも実質的には「SF」とは遠い存在になってしまう……どうにも歯がゆい状況が現出してしまうのであります。

これが、日本ではいまだにSFが子供のもの、よくて青年層までのものと思われている原因なのでしょうか。一部の出版社を除いて、ヤングアダルト向けの軽いものも大人向けの本格的なものも十把一絡げにされていかにもアニメチックなカバーをつけられ、ホラーなどのブームとは裏腹にSFはアニメ以外ではほとんど映像化されず(ド派手なSFXだけがSFではありません)、アニメチックなカバーをつけられながらも何とか日の目を見た優秀なSF小説もどんどん絶版になっていき、才能のあるSF作家が活躍する舞台は次第に狭められていく。
アニメの魅力は十分に認めるものの、私個人には、こうした傾向はSFにとってはマイナス要因として働いてしまったように思えるのです。E・E・スミスの『レンズマン』もハインラインの『宇宙の戦士』も日本でアニメ化されたのになあ。やはり巨大ロボットが出てこないと、日本ではダメなのでしょうか。

なんかグチっぽくなっちゃいましたが、次回はいよいよ最終回。今後の日本SF、21世紀のSFなんてものを展望してみようと思っとります。

つづく

安西 啓(作家『クリスタライズド』好評配信中)

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(06) 日本SFはどこへ行く?(その1)
(07) 日本SFはどこへ行く?(その2)〜「バカSF」とは何か?
(08) 日本SFはどこへ行く?(その3)−アニメの「功」と「罪」
(09) 日本SFはどこへ行く?(その4)〜SFが目指すべきもの


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