1969年、アポロ11号が初の月着陸を果たし、人類が始めて月面に降り立ったとき、世間では「SFの役割はもう終わった」なんて言われたそうです。私自身はガキだったのでほとんど憶えていないのですが、それにしても何と短絡的な発想でしょう。当時のことを筒井康隆氏も短編などで書いておられますが、これほどSFというものに理解のない発言もないでしょう。
もちろん、人間が月面をちょっと踏んづけてクツの跡くっつけたくらいのことでSFがなくなっちゃうわけもなく、その後も優れた作品がどんどん書かれていったのですが、この極めて見当違いの発言も、ある意味では真剣に考えなければならない問題ではあるでしょう。
SFがその時々の社会情勢や科学・技術のトレンドを反映したり、あるいはそれらの影響を受けるということは多分にあることです。コンピュータによるコミュニケーション技術がその萌芽を見せはじめた1980年代にはいわゆる「電脳空間」なる概念が台頭し、SFでもサイバーパンク運動が起こりました。90年代には主にバイオテクノロジーに注目が集まり、それをテーマやモチーフにした作品が多く書かれました。そして現在ではナノテクノロジーなるものが脚光を浴び、しばらく前まではコアなSF作家がそれを取り上げ、主にマニア向けのハードな作品を書いていたのですが、今やそれが科学界で最も注目される話題となって、つい最近もマイクル・クライトンが書いた『プレイ―獲物―』(早川書房)がベストセラーになり、映画化も決定するなど、ナノテクは一般の人々の間でもポピュラーなトピックになりつつあるのです。
しかし、SFというものが時代の流れに左右され、科学研究に追従するばかりのものであるとすれば、これほど無意味なこともありません。もちろん、その時々の問題を反映して社会批判や文明批評として機能することも重要でしょうし、自然科学やテクノロジーの最新の成果をいち早く取り入れることも大切ですが、世の中におもねることなく、SFがそれ自体として独立した存在たることを目指さなければならないのではないかと私は思うのです。だって、そうでしょ? 文学新人賞でもよくあることですが、小説本来の楽しみを軽視して、既にほかの分野でそれなりのことをしちゃった書き手を優先するなどというのは、ただ流行の後追いをしてるだけで、自ら流行を作り出そうというような気概が感じられません。出版文化としてはいかにも志が低いと思うんだけどなあ。
まあ、そんなことを言っても、世の中の動きや流行に左右されるのはしょうがないことでもあるのですが、少なくともそれをSFならではの独立性にまで高めなきゃ、意味はないと思うのであります。東西冷戦の時代には人類が滅亡するなんて話がたくさん書かれましたが、優秀な作品は単なる世界的危機感への追従を超えて、人類社会に関する優れた展望ともなっていました。さすがにそういう作品は、冷戦が終わっちゃった今でも古びておらず、普遍的な価値のあるものになっているのです。だから、たとえナノテクを扱う場合でも、単に新奇性だけで終わるんじゃなくて、さらにその先を見つめる視点が必要なのではないでしょうか。
一方で私が嫌いなのは、SFを単なる「未来予測」としてしか見ない、底の浅い視点です。たとえば2年前、ついに2001年になっちゃったとき、映画『2001年宇宙の旅』に描かれたことのうちどれが実現し、どれが実現しなかったなんてことが話題になって、それだけでこの作品を評価した気分になっていたのには辟易しました。もちろん、クラークもキューブリックも一通りの未来予測をしたかもしれませんが、この映画の本当の意図は決して未来予測なんかではないはずです。たとえ近未来を扱う作品であったとしても、単なる未来予測に終わるのでは、本当のSF足ることはできないのではないでしょうか。私自身の定義ですが、SFというものは「ありうるかもしれないことを到底ありえない形で描くもの」であり、これに反してファンタジーとは「到底ありえないことをさもありうるように描くもの」と考えています。この「ありえない」というところが重要でありまして、SFが未来予測でしかないのなら、それが実現しちゃったときにはSFでも何でもなくなっちゃうということをよく考えてみる必要があるのではないでしょうか。
なんか、いつもに比べてマジメな話になっちゃいましたが、要はSFがエンターテインメントとしても、あるいは文学としても優れたものでありつづけてほしいと願いつづけているということです。ただ人気が出るだけじゃなくて、長く世の中に引き継がれていってほしいということですね。
まあ、世の中、どんなことが起こるかわかったものではありません。ほぼ絶対に不可能だろうと個人的には思ってるタイムトラベルだってひょっとしたら実現しちゃうかもしんないし、存在そのものがナンセンスとしか思えない巨大ロボット兵器だって、マン・マシン・インターフェイスが極度に発達したら、兵器として使えるかどうかは別として、少なくとも操縦だけは現実的になるかもしれません。だけどやっぱり、そんなものが実現して、もはやSFでなくなっちゃったときのことも、よく考えておいた方がいいかもね。
9回に渡りおつきあいいただき、ありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。
おわり
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