「はたして我々人類は、どこから来てどこへ向かうのか?」なんてことを日々考えながら生きている人はどのくらいいるでしょう?
はじめまして。『ブラッディ・インセクツ』の中原磐です。今回、このドキュメントを8回にわたり担当させていただくことになりました。最後までおつきあいいただければ幸いです。
サテ、「どこから来てどこへ向かうのか?」
そんなことを常々思案している人はおそらく宗教家か哲学者ぐらいだろうか、日本の人口1億2千万のうちの100人くらい……イヤ、二桁くらいかなァ?
でも、時々なら考える人はたくさんいると思う。「どこから来たか?」はともかく、「どこへ向かうのか?」は、身近で考えれば「死んだらどうなるのか?」にホカならない。
「ただ土に戻るだけさ」と言う人もいれば「もっと高次なものになる」と主張する人もいるに違いない。自分が乗り込んだ列車の行き先を知りたいのは当然だと思う。
で、ボクの場合、行き先について思いをめぐらすことはあまりない。この世にオギャアと生を受けた瞬間に乗り込んだ電車は、山手線のようにグルグル回らず、必ず終着駅がある。終着駅がいったいどこなのか、三途の川を渡るフェリー乗り場に続くのか、土の中の微生物に分解されるだけなのかは大変キョウミ深いノデスガ、ただ、その電車を降りることだけは間違いがない。つまり黙っていようとも、いずれ答えが出るのだ。アリガタイことに……。ボクが皺くちゃオジイチャンになって、その時がきたら……。このボクに意識があり、病院のベッドだか、ドコかの汚らしい路地裏かはわからないけど、横たわるボクの肉体を離れたところから見ることができているなら、「ああ、ヤッパリそうだったのか」と思うコトでしょう。もしそうなら、エンマ大王様の判決を受ける前に保釈金を払ってしばらくの自由をもらおう。そしたら、ソウダナア……もう何十年も逢っていない初恋のあの娘のトコロヘ……、イヤ、ダメだ! ゼッタイにダメ! ボクが皺くちゃなら、彼女も皺くちゃのオバアチャンのはずだから。
で、そんなことを一切思いつかなければ、ボクは60兆個の死んだ細胞の塊にしかすぎないことになる。
「ああ、ヤッパリあの世はなかったんだ……」とは、悲しいけれど思えない。ダッテソウデショウ。ただの肉の塊にはそう思うことすらできない。だけど、そう思えないことが残念だとも思えないから、まあそれはそれでメデタシメデタシ、となるに違いないとボクは安心している。
というわけで、「ドコに行くのか?」は最期の時を迎えれば答えが出るのだからあまり心配はしていない。
サテ、それではどんな時に「ドコから来たのか?」を考えるかというと、それはモウ、だいたいにおいてヘマをやらかしてしまった時に限る。
仕事にしても、恋愛にしても大失敗をヤラカシテ、「ああ、いったいボクはなんのために生きているんだろう?」なんてオチコンダ時にはそれを考える絶好のチャンスなのデス。カッコよく言えば、自分の存在意義が疑わしくなった時。上司にシコタマ怒られての会社帰り、「好きな人ができたの」と彼女に告げられたデートの後、時間的には午後10時とか11時ぐらいがリソウテキなのですが、俯き気味に肩を落としてトボトボ歩く僕の横を高架線路の電車が轟々と音を立てて追い抜いて行きます。闇に浮かび上がる車内には、様々なジンセイを抱えた人が一日の疲れと共に帰路に着いています。
次回は、そんなシュチュエーションで想いをハセル、「ドコから来たのだろう?」について考えてみたいと思います。
デモ、期待はしないでください。ハズカシナガラ、このボクは哲学や生物進化学も専攻した覚えはありません。ゴクゴク簡単にいきましょう。
つづく
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