最新のパソコンは、一部のハードなユーザーを除けば、すでに不必要なほどの高性能をもってしまいました。フツーの人がフツーに使うぶんには、もう最新のものはいらないということです。それはここ数年のパソコン販売台数の減少からも見てとれますし、中古パソコンの売り上げが大幅に伸びていることもそれを証明しています。
パソコンの未来はドウなってしまうのでしょう?
ボクが子供の頃、21世紀の自動車は透明のチューブの中を宙に浮いて疾走しているはずで、車内にいる家族は妙に艶のある体にフィットした服を着ていて、オトーサンは満面の笑顔とピッチリ七三に分けたヘアスタイルでした。そして21世紀、髪型が違うことと満面の笑顔でないことはボクの責任としても、車はコレッポチも地面から離れようとはせず、相変わらず黒いゴムで地面との摩擦に頼って這いずりまわっています。この点においては、ボクラは未来にいません。
一方、究極の未来の電話は腕時計型テレビ電話でした。そして今、ケイタイはほぼその形に近づいています。腕時計型にならないのは、ただカッコワルイからだと思いますが、この点においては、ボクラは未来にいます。
で、パソコンです。前回書いたように、今のパソコンの原型となるCPUが登場したのが1971年ですから、子供の頃の絵本やテレビには、残念ながらパソコンという概念が取り入れられていなかったように思います。少なくともボクの記憶にはありません。ですから今が未来かどうかの判断はつきかねます。これから10年後、20年後はドウでしょう。
たとえば自動車は100年以上前に発明されているのにもかかわらず、基本的な部分は何ひとつ変わりません。4本のゴム製タイヤとエンジン。人やモノをA地点からB地点に移動させる。もちろんその性能は劇的に進歩しました。が、根本を揺るがすような変化は何ひとつ起こってはいません。これを仮に車的と呼びます。
一方、電話には劇的な変化が起こりました。文字や映像のやり取りができるようになったのもそうですが、やはり壁から伸びた黒いコードから開放されたことが最大の変化だと思います。自動車が地面の呪縛をのがれ空に舞い上がるのと同じくらいの出来事です。また、進歩の速度も圧倒的でした。15年前まで一種のステータスシンボルであった自動車電話は、今では小学生でも持っています。これを電話的と呼ぶとします。
サテ、パソコンです。i4008の周波数が108キロヘルツで最新CPUが3ギガヘルツであることを考えれば劇的な進歩といえますが、これは扱えるデーターの量と速度が増えただけで、根本は何も変わってはいません。この点では非常に車的であるといえます。また、わずか32年で2万8千倍になった作動周波数をみると、その進歩の速さは驚異的です。
この速さという点においては電話的といえます。つまり根本的にはなんの変化もないのに、進歩の速度は圧倒的に速い。行き詰まるのは目に見えています。
ジマンではないのですが、ボクは流行に敏感ではありません。しかし、ハヤリものに斜陽が差し込む、つまりスタレ始めるのを感じ取る嗅覚は人一倍優れていると思っています。少し前までのパソコンは多少の改造を施すと性能が上がりました。また少し前の頻繁に固まるウインドウズも、少々の知識と十分な手間をかけてやれば安定性が増しました。20年くらい前までのスポーツカーと同じで、愛情と時間を注ぐ対象になり得たのです。ところが最新のパソコンは買ってきてコンセントをつなげば改造マシンが足元にも及ばないくらいの高性能で新しいOSもなかなか、かたまらない。ただの移動の道具以上の意味を持っていたスポーツカーが、ガソリンさえ入れれば素晴らしい高性能を発揮するようになると、ボクにとってそれはただの移動手段に成り下がりました。そして……。
トハイウモノノ、今秋には二大CPUメーカーからそれぞれまったく新しいCPUが発売される予定になって、2年ぶりにパソコンを新調しようかと目論んでいるボクには楽しみで仕方ありません。オハズカシイ話ですが、新しい機械には目がないのです。ただ問題は、足し算するうえで、最新パソコンどころかそろばんも必要のないくらい0の数が少ない貯金なのデスガ……。
つづく
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