document 69 日々の暮らし 「子どもの見方」
「梅毒?」
肩から腋の下、手首までびっしりとできた発疹を見て、私の同僚はそう言いました。まったく、きつい冗談。葉ボタンの出荷作業で汗を流していたすぐそばにちいさな椿の木があり、そこにびっしりと毛虫が発生していたのです。触ったわけでもなく、もちろん長袖を着ていたにもかかわらず、空中に漂っていた毛虫の細かな毛がどこかに付着したようです。あまりの痒さにうなっているのに……。
「うぇ〜、何それ、きもーい。水疱瘡?」
中1の男の子たちの反応です。今さら水疱瘡もちょっとねぇ……。大人と子どもは同じものを見ても見方がずいぶん違うものです。
私はふと、息子の小学1年生ころのことを思い出しました。
息子は近所のお友達の家でゲームをしていたのですが、ちょうど帰ろうとするときに雨が降ってきて、その家のお母さんに傘を貸してもらったのでした。無色透明なビニールの傘です。
次の日私は息子にその傘を返してくるように言いつけました。
「ちゃんとお礼を言うのよ、ありがとうございましたって」
傘は玄関の柱のところに立てかけてあります。私はそのとき何か別の用で忙しくて、息子に背を向けて指示したのでした。
彼は小さい頃から不器用で、要領が悪く、探し物は実に下手でした。すぐ目の前にあるものでも首をくるくる回すだけで視界には入ってこないのです。「ほら、そこ」と指を指すだけではダメで、彼の目の前に人差し指を突き出し、それを見つけたいものまで移動させてやらないと「あ、あった!」ということにはならないのでした。その度に私は「ちゃんと見なさい」と息子にお説教したわけです。
「お母さん、どこ?」
あ〜あ、また……この忙しいのに……。私は玄関へ行きました。傘は彼のわずか1メートルほど前にあるのです。私は頭にきて言いました。
「ほら、透明な傘、そこにあるじゃない、自分でちゃんと見つけなさい!」
今日は意地でも助け船を出してやらないと思っていました。
彼はしばらく首を振って彼なりに探す努力をしているつもりのようでした。でも、傘は見えてきません。私も親切じゃなくて怖い顔をしている。きっと、よほど怒っていると思ったのでしょう。
息子はほとんど泣き出しそうな顔で私を見ました。黙ってうつむいてもじもじしていたかと思うと、彼は思い詰めたように言いました。
「……。お母さん、ボクには、透明な傘は見えない……」
私は吹き出しそうになるのを必死にこらえて、わっと私に泣きついてくる息子を抱きとめてやるのが精一杯で、何も言えませんでした。そして息子に傘を渡し、家の中に駆け込んでひとしきり笑ったのでした。
息子は息子の目の高さでものを見、必死に現状打破を考えたのでしょう。それを笑い飛ばしちゃ失礼ですよね。
それに、この場合私の完敗です。一つ一つのものを目で確認しなさい、という私の言いつけを、息子は子どもの論理で打ち負かしたのですから。
その息子も今は大学4年生です。
つづく
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