勉強が嫌になると子どもたちはよく言います。
「何でこんな難しい方程式とか、やらないかんの? 役に立つこと、あるの?」
「そうやて。大体、時速5キロで歩くとかどうやって測るの? 赤信号で止まるやろ、普通」
「英語なんかわからへん。私、一生外国なんか行かへんもん、わからんでもええわ」
「電流とか電圧とか、計算しなくても生きてけるやろ、コンセントに差し込んでスイッチ入れたらええだけやんか」
「漢字の書き順覚えて、なんか得することある?」
「外国の首都とか、知りたかったらそのときに調べたらええやん。今覚えられへんのに無理矢理詰め込むの、時間の無駄とちゃう?」
「先生、それより保健の勉強しよ!」
彼らの言い分を聞いていたら塾の先生は務まりません。おそらくたいていのお母さんはお子さんのそんな文句をお聞きになっていると思います。
「覚えなくちゃテストで点が取れないじゃないの。受験に役に立つのよ」
なーんて、そんな答え方でもしようものなら彼らはそっぽを向いてしまいます。彼らの質問に正面から答えるのはとても難しい。そもそも、彼らは勉強を否定してほしいからそういうのだから。ところがそんなに甘くない。
彼らもよーくわかっているのです。勉強はできた方がいいにきまってる。案外、友達どうし競争してる。誰かが1学期より30点も上がった、私は30点も下がっちゃったのに、なんてことになると、焦って話題が変わります。
「どうやって勉強したの? どこの塾へいってるの? 毎日何時間くらいやるの?」
結局、なぜ勉強しなくちゃいけないかという問いはどうでもよくて、無意識に勉強することを受け入れ、どうすれば惨めな思いをしなくてすむか、という、現実的な問題に敏感になります。
大人だって、「なぜ」と思い始めたらきりがない。やりたくないことをやらなくちゃいけないことはたくさんあります。でもね、大人は彼らのように簡単に、嫌だったらやらないってわけにはいかない。プライドとか責任とか義理とか見栄とか、そんなのが一杯くっついてるからね。
私は単純に、気楽に、「だって、やれた方がかっこいいじゃん。知ってたほうがうれしいじゃん」と思うんですよ。
考えても見てください。狭い解答用紙に「せいいたいしょうぐんさかのうえのたむらまろ」とか「びょうどういんほうおうどう」とか書いてあるより「征夷大将軍坂上田村麻呂」「平等院鳳凰堂」ってびしって漢字で書いてあった方がかっこよくない?
そんなむつかしい漢字をしっかり見て覚えて書けるようになっても、点数アップの保証はありません。速さの方程式なんて役に立たない、断言する。でもね、xやyを使った式を自分で作って答が出せるようになったら、うれしくなる。平仮名ばかりの答案より、こだわって漢字を書ける自分のほうが、「どーでもいいよ」ってしょっちゅう言っている自分より好きになれる。
いっぺんにはできなくても、自分に合ったペースで自分の進む道を少しずつ歩いていこうとする子どもたちは、すごくすごく、かっこいいと思うんです。めんどくさい、うざいと放り出しちゃうよりずっとね。
「がんばって、明日は今日よりかっこいいキミになるためにやるんだよ」
なーんて、そんなキザなせりふは口が裂けても子どもたちには言えませんけどね。
つづく
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