多分2月も終わりのころだったと思います。スーパーでバーゲンのジャケットを買いました。3000円の真っ赤な、でもウールの形の良いものです。きっと派手すぎて敬遠されたのでしょう。迷った末、3000円の冒険ならいいか、と買ってしまいました。
それを着たのは、娘が大学に合格してその手続きについていったとき……。
受験の心配から解放されて、近所じゃ恥ずかしくて着られないけど誰も知らない場所なら、と思い切り派手な格好をしようと思ったのです。
スカートはいつ買ったか記憶にないほど昔の、ひざ上丈のモノトーンのチェック、それから通販で買ったヒョウ柄のマフラーをして黒いブーツを履きました。趣味が良いか悪いかは問題じゃなくて、日ごろお百姓のおばさんがどこまで変身できるか試したかったわけです。
大学では学生さんが大勢受付にいて、学部ごとに親切に誘導してくれました。生協の手続きとか下宿の斡旋とか、何のためかわからないけど、写真を撮るコーナーとか、まあ、いろいろありまして、受験を勝ち抜いた若者と、どこかに晴れがましさが見え隠れするその父親母親でごった返していました。私もその中の一人だったわけです。
あるコーナーへ行ったとき、男子学生が数人いて「ここに保護者の方の名前を書いてください」と言われました。署名し終わってペンを置くとおもむろにその中の一人が「おきれいですね」と言うのです。「はぁ?!」と思いました。が、それはおくびにも出さず、私はとっさに演技をしました。
何も言わず流し目のひとつもくれてやり、少し冷たい微笑をゆっくり返したつもり、「あたしに声をかけるなんて、勇気あるじゃない、ボーヤ」と大人のまなざしを送ったつもり、だったんですけどねぇ、実際にはどんなふうだったのかわかりません。サングラスをしてタバコでも挟んでいればもっと効果的だったかな。
彼ははにかんだようにうつむきました。
帰りの電車の中でよく考えてみれば、ああいう場所では新入生のかわいい子に目を付けるのが普通なんだろうに、彼はよっぽど退屈していたのか、かわいい女の子を見つけられなかったんだろうと思いました。
「ねえキミ、100%お世辞だとわかっているけど、親に声をかけるか? そういえば、ちょっと暗かったからねぇ、顔のディティールはごまかせたんだろうね。それとも目が悪いの? 私より、彼氏いない暦18年の娘は、どうよ?」などと、一人でにやにやしていた次第です。
私の変身は大成功だったようです。彼は、私がお百姓のおばちゃんで、お百姓頭巾をかぶってエプロンにジャージ、長靴をはいて、くわで草を削ったり、カゴを肩から掛け脚立を上ったり下りたりして柿を一つずつ収穫している姿など、連想不可能だったにちがいありません。
3000円のジャケットで見ず知らずの男性に「おきれいですね」などという言葉をいわせたあたしの勝ち!ほんとはね、その場で大騒ぎをしたいほどうれしかったの!
つづく
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