おそらく実験用だったのでしょう。植木鉢一つ一つにネームの入ったバラの木が通路に放置されていました。それを除草し、余分な枝を切ってしばらく後のことでした。実に美しいピンク色のつぼみを付けたのです。思わず歓声を上げてしまうほどの姿です。その名も「ブライダル・ピンク」。
しかし、2、3日後にはもう咲ききってしまって疲れたような表情になり、色も少し褪せてしまいました。私は思わず独り言を言いました。
「はぁー、やっぱり、花は蕾のうちやねー」
すると肩越しに、「わかったぁ?」と意地悪そうな技官さんの声。
わかってますよ! 女も40にもなれば姥桜、お肌ぷるんぷるんの若い女性と比べるべくもない。シミ、しわ、くすみは当たり前、鏡の中の人物はだあれ?と、とぼけても詮無いこと。「ふん、熟女の魅力を知らないな!」と強がってもどこか空しいんですよねー。
でもね、花の旬は一度きり。私は、人には何度も旬があると思っています。
人がきれいに輝くとき。それは若いときばかりでなく、たとえ年老いても、人生で何度目かの旬を迎えることができるのだと私は思います。男も女も、ときめいて何かに夢中になれたら、夢に向かって進む勇気を持てたら、きっと輝いていられる。その笑顔がたとえしわくちゃでも、髪が白くても、腰が曲がっていても、周りの人をすがすがしくさせることでしょう。
夢とか、夢中になることとか、ないよねー。だってさぁ、毎日同じことの繰り返しだし、急に運が向いてくるとか大変身するとか、金持ちになるとか暇ができるとか、悩みがなくなるとか才能がめばえるとか、そんな奇跡みたいなこと、あるわけないし……。そうやって一年ずつ年を取っていけば、ただのおじさんおばさんになるだけで、おじいさんおばあさんになったら、あとはお迎えを待つばかり。時間つぶしの達人が生き上手ってことじゃない?
私もそんな気持ちが皆無ではありません。だけど、そんな諦観を持つだけじゃもったいなくないですか? 私は目の前に敷かれた自分のレールをひんまげたり、わざと脱線してみたりしたほうがおもしろいんじゃないかと思うんです。それでひどい目にあっても大損をしても寝込むほど悲しい思いをすることになっても、きっといつかは「あはは、あのときはバカをやっちゃったな。ま、いい経験いい勉強だったな」と思える日が来る。そしたらそのときの笑顔はずっと輝いていると思いますよ。それは新たな旬の始まりに違いありません。
だから私は「無駄な抵抗」「手遅れ」「若作りしすぎ!」などと言われながらも、おもしろいこと探しをするために今日も元気に外に出ようと思います。折角生きているんだから、思い切り私自身を楽しませてあげようと思うのです。きっと私の旬はまだ終わらないはずだから。
羽目を外しすぎて子どもたちに「普通のお母さんがよかった」と言われたときは、ちょっとショックだったけれど。「普通のお母さん」て、どんなんやねん?
9回にわたり私の駄文におつきあいくださった読者の皆様、本当にありがとうございました。皆様の「日々の暮らし」に「ときめき」という小さな光るかけらがちりばめられますよう祈って、ペンを置きます。
ありがとうございました。
おわり
|