視聴率。今回は何かと話題のこのテーマでお話ししたい。
特に日本人は数字が好きだ。これは、集団で行動することを好み周囲に影響されやすい、そんな日本人という人種が大きく影響しているからだろう。
何もかもがランキング。上位のモノは良くて、下位のモノは悪い。
視聴率というものは、そもそもスポンサーのためにある。広告料を支払っているのだから、誰(世代、性別)がどのくらい観ているかを知ることは重要だし、知る権利もある。だが、作り手が視聴率に踊らされると、これは大変なことになる。数字は数字でしかない。食事しながら観ていようが、かじりついて観ていようが同じ0.1%。所詮は数字、そこに厚みはない。俺の好きな番組(1年に1、2本出逢うかどうか)はたいがい数字が悪い。でも、5%でも、きっとその5%はコアで、毎週その番組を観るために早めに帰り、ビデオに撮りながら観ている人間だ。そんな夢中になれる番組が、ながら観(食事しながら、メールしながら)され数字が良かった裏番組に負け、打ち切りになる。そんな経験を毎年している気がする。
もちろん、全ての作り手が数字に踊らされているわけではない。己の信念を貫き、安易に簡略化せず、質にこだわり続けている人もいるはず。そう信じられるから、俺はこの世界が好きだし、目指している。
で、本題はここから。ここまでは視聴率が高いことは悪いことのように述べてきたが、けっしてそうとは思わない。なぜなら、数字を獲ることは難しいからだ。
ある大物芸人が言っていた。
「数字の良い番組はコンビニと同じ。なんでもあるから取り敢えず寄ってみる。でも、なくても生きていける。俺の作りたい番組はそうじゃない。コンビニで良いなら、いつでも作ってやる」
果たしてそうだろうか? 前半の部分は同感だが、後半はどうも首をひねってしまう。この芸人さんは面白い、天才であることは誰もが認めている。だが、番組は数字を獲れないでいる。ディープなファンはいるが、全ての人には受け入れられない。結果、数字に繋がらない。
先日、深夜のテレビである大物脚本家が語っていた。大ヒット映画を書いたあの人だ。
「僕は数字の悪いドラマもたくさん書いてきました。なぜ、数字が取れなかったかというと、そのドラマには自分の強い主張を込めたからです。その結果、賛成派もいれば、同じ数だけ反対派もできます。つまりヒットしません。でも、この映画には強い主張を入れていません。それはヒットさせるためです。だから仕事としては辛い仕事です」
納得というか、脱帽である。これは凄い。先に挙げた芸人さんにはこれができるだろうか? 答えは不可能である。なぜなら、彼は強い主張があるからこそ、認知された人物。仕事だからと割り切ってしまえば、彼自身の首を絞めることとなる。これは天才ゆえの宿命だろう。
視聴率が高い番組を作ることは難しい。そこには作り手の『数字を獲るために自分の主張を入れない』という妥協がある。我慢と言ったほうが近いかもしれない。さぁ、俺にはできるだろうか? 今はできない。自分の書きたいモノが書けないなら、どんなにお金が貰えても、それは窮屈以外のなにものでもないからだ。
どちらが、よりプロフェッショナルなのか? きっと妥協できる人間だろう。
昨日、この連載の編集者からこんな電話がきた。
「もっとみんなが読んで共感できるモノにしてよ」
「はい!」
返事は早かった。俺も少しばかりプロに近付いているようだ。
つづく
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