ショートショートは短さもさることながら、形式上のシンプルさのため誰でも簡単に書けそうに思えるのか、若い世代を中心に作家志望の人が多く挑戦しているようです。Boon-gate.comにもショートショート大賞がありますので、これをお読みの方の中にも応募している方がたくさんいることでしょう。しかし、考えようによっては、実はこれほど難しいジャンルもなかなかないのかもしれません。
ショートショートがわりと気軽に創作される背景には、ちょっとしたストーリーに気の利いたオチをつければいいという安易な考えがその背景にあるからではないかと私は考えています。確かに、ショートショートの始祖、星新一の作品の大部分はそうした形式になっています。極端なことを言えば、ショートショート=オチと思いこんでいる人が多いのではないでしょうか。しかし、これははっきり言って誤解です。
ショートショート=オチという誤解は、ショートショートをいわゆる「コント」と同じようなものと捉えるために生じるものでしょう。その短さとラストのオチを考えれば確かに似ている部分もありますし、「コント」としか言いようのないショートショートも実際にたくさんあります。それも、傑作が。
しかし、その本質において、この2つは決して同じものではありません。コントはあくまでも「コント」、しかし、ショートショートはあくまでも「小説」です。
例えば、次のようなコントを考えてみてください。
A夫「隣の家に塀ができたんだってね」
B男「へえ〜」
思いっきりつまらない例ですが、とりあえずこれを「コント」とみるとして、ショートショートとしても成立しうるでしょうか。
このネタでショートショートを書く場合、きっと誰でも考えるのは、状況と場所と登場人物の設定が必要になるだろう、ということだと思います。そもそもそれがなければ、ふつう「小説」にはなりませんから。で、こうしたことを設定したうえで、ストーリーを考える。このたった2行の会話の前にも、いろいろと会話をくっつけてみる。最後に、「へえ〜」をオチとしてラストに持ってくる。
これで、ショートショートになると思いますか?
人それぞれの考え方にもよりますが、私はそうは思いません。オチがつまらないからではありません。「へえ〜」のままでも、十分に面白いショートショートになる可能性はあります。結論から言えば、どうしてもこのオチでなければならないという「必然性」があるか、ということなのです。
その「必然性」によっては、状況や場所や登場人物の設定が逆に邪魔になってしまうこともあります。不要であるどころか、逆効果になることもあります。
もちろん、コントには「必然性」は必要ではなく、ショートショートよりも低俗なものであると言っているのではありませんので誤解のなきよう。この「必然性」は、「小説」として作品が成立しうるための「必然性」という限定的な意味のものです。
では、「小説」としての「必然性」はどうしたら実現するのでしょうか?
まず、人物や状況、場面などを設定した場合、それらの設定に対してこのネタが「必然」であることが求められるでしょう。逆に言えばネタに対して設定がよくマッチすることが求められるということであり、とどのつまり両者は不可分ということになります。状況設定やストーリーから、オチがどうしても「へえ〜」でなければならなく、しかもそれで十分にオチとして有効にならなければならないのです。
「へえ〜」というオチが読者を十分に面白がらせ、驚かせることができれば、十分にショートショートとして成立し得るでしょう。
では、このオチを「へえ〜」から別のものに変えてみたとしましょう。
例えば、「ほお〜」に。
またまた、つまらない例になってしまったかもしれませんが、ひとまずこれを、ネタ自体は非常に面白いものであるとしましょう。
その場合、ショートショートにおける「必然性」はこのオチそのものに内在しているとみることができるかもしれません。であれば、ネタがそれだけで独立した存在となるため、人物設定などは全く不要になってしまう可能性があります。
とどのつまりは、ショートショートを単なる面白いハナシとしてみるのではなく、あくまでも「小説」の一形態、「小説」そのものとして認識し、「小説」として成立し得るための条件を考えていかなければならないということです。しかし、これを突き詰めていくと、「小説とはいったい何なのか」という問題になってしまい、そこまで扱うと本論から外れてしまいますが……。
というわけで、次回からはそれらの条件を、あくまでも面白いショートショート、質の高いショートショートを書くためのものとして、ひとつひとつ取り上げながらみていくことにしましょう。
つづく
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