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二〇〇四年三月、生家の本屋が店仕舞いをすることになった。その本屋は、宇都宮の集英堂書店──百十五年も続いた老舗だ。何事も、始めがあれば終わりがある。時代の流れを考えれば仕方のないことかもしれないが、それでも著者の胸は悔しさと寂しさで一杯になった。何より、これまで本屋の書棚を飾っていた本たちの行き場を案じなくては……。残った本たちを救ったのは、父が愛用していた本箱だった。父が六十五年ほど前に専門家に頼んで造らせた、伝統と思い出の詰まった本箱──著者も小学校低学年の頃から慣れ親しんできた。父の本箱の年齢は、すでに還暦を過ぎている。そんな思い入れのある本箱に、集英堂書店から多くの本が嫁いできた。この本箱が安住の地になることを、本たちは悟っていたに違いない……。 |
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ある日、テレビ番組で「もし二十年間、人間の爪を切らずに放置すると、一メートルもの長さになる」という話題が取り上げられていた。そんな話を耳にして、著者は四十年前の日々を懐かしげに思い出した。当時、婚約中の夫を訪ねると、フィアンセのために趣味のギターを爪弾いてくれたのだ。曲はフランシスコ・タレガの『ラグリマ(涙)』だった。弦を弾く夫の右手の爪は、左手とは対照的にかなり伸びている……。結婚後にわかったことだが、夫はその右手の爪に、度々透明のマニキュアを塗っていた。補強のためである。ギターを弾くには爪の手入れが大切なのだ。そして話題は「夜爪を切ると、親の死に目に会えない」という言い伝えに及んでいく。夫に「そんなもの、迷信にきまっている」と言われながらも、頑なに守り続けた著者は、父も母も見取ることができた。昔ながらの教訓は伊達ではないようである。 |
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平成七年の夏は格別に暑かった。誰しも、秋の到来を待ち望んでいた。秋の気配がすると、当時九十八歳だった母は、末娘である著者に手紙を寄こした。明治の人らしく、和紙に毛筆できちっと書かれている。著者にとって母は手紙の先生だった。夫と見合いをして交際を始めた頃、自分の書いた文面を母に念入りに見てもらったほどだ。女性としての手紙の書き方を教わり、人生の先輩として生き方も教わった──そんな母からの手紙は、平成七年九月八日付をもって永久にストップした。百歳間近の長寿で、大往生である。母は晩年、「心之力」という書を大切にし、心の拠り所としていた。きっと最後の手紙を書いた時も「続きはまたあとで」と次に筆を握る日を楽しみにしていたことだろう……。 |
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