自分が言葉を話し始めた時のことを明確に思い出せる人は少ないでしょう。物心ついた頃には、自然に日本語が身についていた、というのが実感だと思います。赤ちゃんは、親や周りの人たちが話す言葉を耳で受け、真似することで育っていきます。片言が次第にしっかりした発音になり、意思疎通がとれるようになり、それが自由な会話へと発展します。この流れこそが「生きた言葉を学習する王道」であると著者は語ります。
幼き日に母国語を覚える過程では、語法に対する意識がなくても、まず問題はありません。好奇心旺盛で、言葉の吸収力が豊かな時期ですから、頭で考えるよりも先に、体で日本語を覚えていくものです。あたかも慣れた道を無意識に歩くが如く、日本語を自由に使いこなすようになっていきます。その一方で、言葉の仕組みが分かる年齢になってから外国語を学習する場合には、会得の仕方が随分異なってきます。単語の意味から入ったり、文法に留意することで、意識的に言葉を覚えていくことになります。
著者はこの違いに着眼しました。外国語は意識して言葉を発するのに対し、日本語は空気のような存在で、無意識に口から出てきます。つまり日本語に関しては、知らず知らずのうちに身についた悪い癖に気づかないまま、日常会話を行っている可能性が強いのです。少しくらい曖昧でも意図が通じるゆえに、正確な日本語を意識しないまま会話が成り立ってしまう、と著者は指摘します。
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