この日本語、なんか変!

『日本語はどうなるか どうすればいいのか』 前田みきお・著 gate-02/エッセイ
『日本語はどうなるか どうすればいいのか』 前田みきお・著
 自分が言葉を話し始めた時のことを明確に思い出せる人は少ないでしょう。物心ついた頃には、自然に日本語が身についていた、というのが実感だと思います。赤ちゃんは、親や周りの人たちが話す言葉を耳で受け、真似することで育っていきます。片言が次第にしっかりした発音になり、意思疎通がとれるようになり、それが自由な会話へと発展します。この流れこそが「生きた言葉を学習する王道」であると著者は語ります。
 幼き日に母国語を覚える過程では、語法に対する意識がなくても、まず問題はありません。好奇心旺盛で、言葉の吸収力が豊かな時期ですから、頭で考えるよりも先に、体で日本語を覚えていくものです。あたかも慣れた道を無意識に歩くが如く、日本語を自由に使いこなすようになっていきます。その一方で、言葉の仕組みが分かる年齢になってから外国語を学習する場合には、会得の仕方が随分異なってきます。単語の意味から入ったり、文法に留意することで、意識的に言葉を覚えていくことになります。
 著者はこの違いに着眼しました。外国語は意識して言葉を発するのに対し、日本語は空気のような存在で、無意識に口から出てきます。つまり日本語に関しては、知らず知らずのうちに身についた悪い癖に気づかないまま、日常会話を行っている可能性が強いのです。少しくらい曖昧でも意図が通じるゆえに、正確な日本語を意識しないまま会話が成り立ってしまう、と著者は指摘します。
point
 例えば「この映画、メッセージがすごい伝わってくる」という表現は、言わんとする内容はすぐに理解できますが、じっくり読み返してみると、どこか変です。正確には「この映画、メッセージがすごく伝わってくる」──つまり「すごい」ではなく「すごく」と連用形にする必要があります。
 このような日本語の乱れを正すのが本書の第一目的ですが、著者は堅苦しい日本語をただ押しつけようとはしません。そこには「言葉は時代とともに変化していくもの」という考えがあるからです。上述した「すごい」の適用できる範囲が昔に比べて広がりつつある点にも触れています。美しい・優れている・豪華だ・おいしい……など細かなニュアンスが違う表現も全て「すごい」の一言で済ませてしまう──そんな最近の若者言葉にも一定の理解を示しているのです。“安直だが刺激の強い言葉”として定着した「すごい」を認めつつも、「できれば、その中身をもっと他の言葉で表現してほしい」と著者は本音を吐露しています。

advice
 学校教育における「国語」という科目への記述には興味深いものがあります。著者は「国語」の学習の前に「日本の言葉」を基礎から教えるべき、と持論を展開し、日本人として正しく美しい日本語を話す必要性を訴えかけます。その考えの奥には、外国に対する日本の存在意義と誇りが見えてきます。
 「自分は地球の片隅にいるのだろうか。それとも中心に立っているのだろうか。その片隅こそが中心なのだ。どこにいても、地球の周辺に至る距離は等しい。自分の周りに他人がいるのだ。そう大上段に構えて、これからの人生の中心であるはずの日本語からまず見つめ直してみよう。その土台にしっかりと軸足を置いて、広く外界へとはばたこう」──著者はこんな言葉で本書を締め括っています。

information
 前田みきおさんのもう一冊の著書を紹介します。
 『こころの叫び声が聞こえる』 前田みきお・著

物を言えない木が本音を語った「木のこころ」
家庭における愛のあり方を説いた「離れる」
自己犠牲の精神の尊さを綴った「こぼれる米」

  人間としての正しさとは? 目には見えない大切な何かを教えてくれる3篇のエッセイ集!



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